誕生までの一つの壁

2011.11.12

広く注目を集めているグランドハイアット東京だが、その進出決定までには紆余曲折があった。当初、森ビルは賃貸借契約でホテル経営会社を募集した。九五年のことである。大まかな建物規模と客室数が提示されたその募集には、国内外のホテル事業者九社が応募した。東京ドームが八個入ると言われる巨大な再開発地に、外国人の間で知名度の高い六本木にぜひとも自社のブランド名を刻みたいと考えたハイアットも応募した。しかし、ハイアットには一つの壁を乗り越える必要があった。

[人気サイト]
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湯村温泉(兵庫)の温泉・露天風呂のある宿・ホテル - じゃらん温泉ガイド
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京王プラザホテル - じゃらんnet
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コンフォートホテル彦根 - じゃらんnet
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森ビル側にマネジメント契約を理解してもらわなくてはならないと考えたのである。一般的な傾向として、日本のホテルの土地・建物所有者は、マネジメント契約に対して不公平感を抱いていた。「運営者の指示通りにホテルを建て、莫大な投資をしなければならないのに、運営者には大きな投資負担はないし、こちらはさらに運営委託料を支払わなければならない。どうも納得がいかない」。実は戦後初の外資系ホテル、東京ヒルトンホテル(現・キャピトル東急ホテル)が開業したとき、ヒルトンと提携した東急グループの中には運営委託料が高いことに不満を抱く人たちがいたという。それでも「これは授業料だ」と言って、東急グループの総帥・五島慶太は契約書に調印した。また、それから間もなく大谷米太郎がシェラトンとの提携を模索していたとき、やはり「運営委託料が高い」と言って、こちらは自前でホテルニューオータニの経営を始めたという逸話がある。